この1ヶ月、SHUNNOSUKEは苦しみました。いくつかの強豪クラブにトライアウトを受けたものの、なかなか引っ掛かりませんでした。原因は、「intensidad, agresividad, espiritu de lucha, sangreの欠如」です。intensidadは“激しさ”、agresividadは”相手を噛み付くような攻撃性”、espiritu de luchaは、“ファイティング・スピリット”、そして、sangreは、ここでは“闘う血”を意味します。とどのつまり、これらが表している事はただ一つ、「闘える選手かどうか」という事です。
今回のW杯で、世界のチームの戦いぶりを見れば、一目瞭然なように、フットボールはしっかりとした技術や、鍛え上げられた肉体、もしくは天性のフィジカル、身体能力も大事ですが、それらと同様に、いや、それら以上に大事なのは、結局は“気持ち”です。心技体の“心”という字が最初に来るように、何よりも、格闘場、戦場と化すピッチの上で、「闘えない選手」では、いくら技術が優れていても、いくら素晴らしい身体能力を持っていても、その価値は“無”に近いでしょう。研ぎ澄まされた精神こそが、その持てる技術と身体能力を最大限に引き出すのです。
ここスペインでも、当然ながら、そのフットボールの本質、戦いに臨む上での必要要素として、これら「闘える選手」かどうかという事は、非常に重要視されます。
しかしながら、世界に比べて比較的に平和で恵まれた環境で育つ日本の子供達からは、絶対的に「闘えるかどうか」の部分で、物足りなさを覚えます。その象徴が、今回のブラジルW杯での日本代表の惨敗ぶりです。フットボールでもっと世界を驚かせたいのなら、日本は、もっと根本の部分から、変わって行かなければ、難しいでしょう。
そんな日本で育ったSHUNNOSUKEは、典型的な“いい子ちゃん”。いい子ちゃんが駄目とは言いませんが、フットボールをやるのなら、いい子ちゃんはマイナス要素でしかありません。少なくとも、ピッチ上では、時には鬼、勇敢な戦士、時には猛獣に変貌しなければなりません。でなければ、永遠に世界には勝てません。
そうした、フットボールに必要な根本的な部分を、恵まれた日本で育ったが故に持ち合わせていないSHUNNOSUKEは、何処のクラブからもなかなか必要としてもらえませんでした。
本人はやっているつもり。頑張っているつもり。でも、その絶対値が、客観的に見たら、全然です。
新シーズン、2000年生まれのSHUNNOSUKEは、CADETE(U16リーグ)の1年生という事になります。CADETEは1部から4部リーグまであり、最上位の2年生にとっての最高舞台がDivición de Honor(ディビシオン・デ・オノール)と呼ばれる1部リーグだとしたら、1年生にとっての最上位の舞台はPreferente(プレフェレンテ)と呼ばれる2部リーグです。「出来るだけ上のレベルでやりたい!」というSHUNNOSUKEは、2部リーグ所属の強豪クラブを片っ端から受けましたが、何処からも穫ってもらえませんでした。その事自体も残念なのですが、もっと残念なのは、SHUNNOSUKE自身、この1ヶ月を経て、なかなかその足りていない部分の克服、改善の兆しが見られなかった事です。恐らく、周囲から口酸っぱく言われているにもかかわらず、本人が心底、その必要性を感じ取っていないのでしょう。
そんな中、それでも、SHUNNOSUKEは何とか、4部では無く、3部で居場所を摑み取る事が出来ました。Sant Ildefons(サン・イルデフォンス)という中堅クラブです。9月から始まる新シーズン、スペイン挑戦となる1年目を通じ、自分に足りないものを何処まで克服出来るのか!?そしてもちろん、自分の通用する武器を見つけ、それをどこまで徹底的に追及して行けるのか!?SHUNNOSUKEの挑戦は、ようやくスタートラインに立ちました。