今シーズン終盤、来シーズンのチーム編成が発表され、残念ながら、SHOKEIの1軍昇格はなりませんでした。コルネヤのInfantilカテゴリー(12~13歳)は、この初夏殆ど新陳代謝が行われず、やや動脈硬化を起こしたような状態。1軍に確かなメンバーが揃っていると言う事で、2軍のメンバーに昇格のチャンスは全く巡っては来ませんでした。
その為、来シーズン、SHOKEIはコルネヤのCadete D (1997年の2軍)にスライド昇格する事になります。Cadete Dは、Primera divición と言う名の、上から数えて3部リーグを戦う事になります。Cadete(カデテ)と言うカテゴリーは、14~15歳を対象としたリーグで、1997年生の選手にとっては、Divición de Honor(ディビシオン・デ・オノール)と言う1部リーグに次ぐ、 Preferente(プレフェレンテ)と言う2部リーグに当たるリーグが、最上の舞台となります。すなわち、3部リーグと言う事は、1997年生まれにとっては、上から2番目のリーグと言う事になります。1997年でPreferennte(2部)リーグを戦えるのは、ほんの僅か。実力のあるチームでも、殆どが、Primera divición (3部リーグ)を戦う事になります。コルネヤCadete Dもその一つ。更に、その下には、Segunda divición (4部リーグ)が存在します。
3部と言うと、響きが悪いのですが、1997年生にとっては、上から2番目のリーグであり、決して悪い話ではありません。実力があっても、多くの1997年生の選手は、このPrimera divición を戦う事になります。
そこで、SHOKEIと話をしました。
SHOKEI「来シーズン、Preferenteを戦うチームの入団テストを受けてみたいです。」これが、SHOKEIの気持ちでした。
そこで、来シーズン、1997年生チームで、Preferenteを戦うチームをリストアップしてみました。
バルサ、エスパニョール、コルネヤ、ダム、エウロパ、サン・ガブリエル、ビラサル・デ・マル、メルカンティール
僅かに8チームしか、通える範囲にはありませんでした。その中で、バルサ、エスパニョール、そして、所属のコルネヤ以外の5つに的を絞りました。結果、エウロパのテストに漕ぎ着ける事に成功しました。
Europaの入団テストの日、この日の練習参加したメンバーは全員で17名。11人制のチームの人数構成の相場が18人だけに、「これはチャンスかも」と思われました。練習に参加した17名の中には、コルネヤの1軍で今シーズンプレーした選手も混ざっていました。彼は、シーズン終了後にコルネヤの1軍からクビを言い渡され、コルネヤの2軍には行かず、他のチームを探しているのでした。どうやら、彼に対しては、既に入団が決まっているようです。
この日の練習では、8人ずつ3チームに分け、ミニゲームが行われました。気合い十分で臨んだSHOKEIは、最初から好プレーを披露します。この日のトレーニングの中では、十分に目立った働きを見せ、2ゴール、3アシストの活躍も見せました。あと2ゴールは奪えたシーンもありましたが、それでも、傍から見ていて、ひいき目無しに、獲得に十分なプレーを見せていたと思います。
がしかし、結果はNO。
「今日は来ていないが、怪我人が数人いて、既に19名の選手が確定しているんだ。悪いが、ここではプレー出来ない。」
<人数が埋まっているのなら、テストを受け入れるなよ!>と心の中で思いつつ、SHOKEIには、
“まぁ、しょうがいない。彼らはあんな事を言っているけど、本当に凄い選手だと思われれば、何とかこじ入れてでも、受け入れようとするはず。今日、SHOKEIは良いプレーをしていたと思うけど、既にいるメンバーを弾いてでも欲しいとまでは思われなかったと言う事だ。入団テストでアピールすると言う事は、普通じゃダメなんだ。いつも以上にハッスルしなければ。でもまぁ、心配すんな。外から見ていて、一番良いプレーをしていたし、俺が監督なら、君を獲るしな。”
さて、コルネヤから他のクラブの入団テストを受ける為に許しを受けた期間は僅かに1週間。それを越すと、SHOKEIのコルネヤの2軍のポストの保障はありません。
あとチャンスがあるとしても1回ぐらい。
SHOKEI「出来るのであれば、出来る限りやってみたい。」
そこで、リストの残りのクラブと連絡を取ってみました。強豪ダムからは、「もう、来シーズンの選手は確定している。」と断られ、サン・ガブリエルとビラサル・デ・マルも、門前払いでした。残るはメルカンティール。あの指宿洋選手が今シーズンプレーしたサバデルと同じ市内にあるクラブです。「サムライ少年の家」からは電車を使って1時間半。
それでも、SHOKEIの「受けるだけ受けてみたい。」と言う意向を受け、敢えて、通いの大変さも実感する為に、電車を使って行ってみました。
メルカンティールの練習では、既に1997年生チームの活動が今シーズン、終了していた為、1996年生のチームに混ざってのトレーニングとなりました。練習は、3チームに分かれ、勝った方が勝ち残りの8vs8のミニゲーム方式で行われました。もともと背丈が低いSHOKEIにとって、彼の頭が皆の胸の位置に来るほど、周囲との体格差が格段に違うなか、まるで、大人の中に一人、少年が混ざっているような光景でした。最初は、周囲のスピード、高さ、フィジカルに戸惑っている感はありましたが、徐々に、ボールを持つと、そのリズムに適応しようとする彼の姿がありました。周りの“お兄さん達”も、最初はSHOKEIの事を“nene(赤ん坊)”と呼んで、あまり相手にしていない様子でしたが、一つ一つのプレーをきっちりとこなし、時折テクニックも披露するSHOKEIに対し、徐々に周囲も「いいぞ!nene!」とチームの一員として認めて行ってくれる様子が伺いしれました。
練習後、この日の練習を指揮したチャビ監督から、「今シーズンの活動はこれで終わり。俺が実際に1997年の監督では無いし、実際の監督となる本人が見る必要がある。1度の練習だけで、俺自身の判断で(獲るかを)決める事は出来ない。来シーズン、8月末ぐらいから始動するから、引き続き挑戦したいのなら、また来てくれ。」
との事でした。つまり、駄目なら切られた訳ですが、次に繋がる可能性は残った訳です。ここで考えなければいけないのは、現所属クラブ、コルネヤからの許可は1週間。8月末に再挑戦する事は、コルネヤの2軍のポジションを失う事を意味します。既に、コルネヤの新Cadete Dの監督パブロは、SHOKEIが抜けた時の事を考え、同じポジションの選手を他から試し始めていると言う情報も入っています。8月末にメルカンティールに再挑戦したとしても、受かる確証は何処にもありません。メルカンティールも受からなければ、9月に無所属として、チーム探しに奔走する事になるかもしれません。そもそもその時期に、良いチームであればあるほど、チームを確定し、固めてしまっている可能性があります。更には、もしメルカンティールに受かったとしても、週4回、片道1時間半の道のりを、一人で通わなければなりません。Cadeteの練習が19:30に始まるとすれば、クラブを出るのが21:30。寮に到着するのが23時を過ぎる生活になります。
リスクを背負って、あくまでも挑戦するのか。コルネヤに残るのか。
SHOKEIは悩みました。
「コルネヤでやります。今シーズン、自分として、怪我もあったし、納得の行くシーズンを送る事が出来なかった。来シーズン、コルネヤのCadete DでPrimera diviciónの優勝を目指し、それに貢献する。自分で納得の行く結果と内容を残して、コルネヤの1軍に引き上げてもらえるよう、頑張ります。」
彼は、悩んだ挙句、一つの結論を導き出しました。
「サムライ少年の家」の他のメンバーの多くが出世を成し遂げた事が、彼にとって、焦りとならないと言ったら、嘘になるでしょう。
しかし、最終目的である【プロのサッカー選手】と言う夢を追いかけ、それに辿り着くプロセスは、十人十色、千差万別。諦めずに、最後の最後でより良いゴールを掴み取れば良いのです。
No te preocupes、SHOKEI!そのチャレンジスピリッツがあれば、そして、自分の足でしっかりと一歩一歩進んで行けば、必ずや追い求めているものを掴み取れるはず!
Espero que te vaya todo bien la temporada que viene !!!
Te deseo toda la suerte !!!
Siempre estoy contigo !!!